私もなぜかiPhoneを使ってしまう

iPhoneが提供する価値の種類 〜なぜiPhoneだと使ってしまうのか(3)〜
http://d.hatena.ne.jp/Batayan3/20081028/1225199956
【Batayan’s Log】


私はこのコラムのシリーズが好きです。答えの出しようのない、「人がなぜ●●な行動をするのか」をあえてテーマにして色々と考える。ある意味妄想といわれても仕方がないわけですが、それでも納得できる部分が多くあるからです。また、「これは核心じゃないか」と思える意見も飛び出したりするわけです。


iPhoneのblogをやってるからだろ?」


と言われそうな勢いなんですが、私がblogをやる理由はそこにはありません。理由はあるのですが、それを言う資格もなければ意味もありません。ただただ、ここではiPhoneが好きで、楽しいガジェットだということをお伝えするだけなのです。一部にはドザと言う言葉がありますが、私はそのドザのベータの超不便な時期から使い込む楽しみもあるわけで、今後リリースされるであろうWindows7のベータも是非試してみたいと思ってるほど、MS寄りな人間でもあるわけです。


しかし、Apple製品であるiPhoneになぜ惹かれて、実際使ってみてもそこまでほれ込むかということなんですが、それは自分でもわかりません。ただ、「スペック見る前に使ってみれば色々分かるよ」ということなんですよねぇ…。


製品になったVistaにはそれほど固執しませんでした。XPに戻した時期もありました。いまやOSXを使ってみたいと言う気にもなってます。「使いやすいから」使う、とか「使いにくいから」使わないという尺度で多分PCを見てないからだと思います。(もちろん仕事でPC使ってるならそんなこと言ってられないと思います。私はあくまでPCは「趣味」で使っているのでそういうスリルとか危なっかしさは仕事の上では必要ないと思います。)


「こう使えば便利じゃないか」とか「ここはいまいちだから後に期待していまはこう使えばごまかせる」というそのマシンの持つ「いいところ」を探すのがゲーム的で楽しいからiPhoneを使っているんだと思います。自分の使い方がそもそも正しい使い方だとは思っていません。では、製作者(開発者)さんが「こう使えばいいところがある」という心を読むというところに惹かれるわけです。つまり、開発サイドの「媚び」というものは私の感じるもっとも面白くない部分であり、「あれもほしいこれもほしい」というユーザーのわがままな「単なる数値的スペック」のみを搭載した媚び媚びマシンにはあまり魅力を感じないのであります。

一方に「安心・安全・誠実」という価値があり、それを体現しているのが”和式ケータイ”だ、と言ってもよいだろう。この価値は、少なくても日本国内では、携帯電話に限らず過剰になってコモディティ化してしまった感がある。日本人にとっては、そうであって”当たり前”になってしまったのだ。

他方、こうした価値の対極にあるものとして「面白さ・(ある種の)スリル」という価値があり、iPhoneが提供しているのはこの価値なのではないか、と思う。

この部分が凄く納得できる部分であり、私流に言わせていただけるなら、それは和式携帯が「ユーザーへの媚び」から成った製品であり、iPhoneは「あくまで製品へのこだわり」でできた製品だということです。よく言えば「遊び心」があり、悪く言えば「頑固で使いこなしづらい製品」なのがiPhoneであり、その懐はもっと深いところにあると考えています。